みたとこ0201

  • http://www.kaikaikiki.co.jp/dojo/index06.html 第6回芸術道場 『「萌え」の構造』
    • 今ごろ読んだ。
    • 「萌え」の指示対象はともかく、その言葉を使う態度についてはもっと掘り下げられるような気がする。それが虚構に対する「恋愛感情」や「愛情」だとして、なぜそれを「萌え」という言葉で表現するのか。
    • それが愛情なのなら、「君が好きだ。愛している。結婚してくれ。」と言えればいいんだけど、対象が虚構である事情からその欲望に応じられることはないし、それどころか気持ちを伝えることすらかなわないと直観してしまうだろう。対象とのコミュニケーションに絶望したままメッセージを発することなどできはしない。したがって虚構に恋愛感情を持つものは、欲望をメッセージの形でぶちまけつつ、同時に「いまこれを言わせているのは自分ではない」という形で自分自身を留保したいと考えるのではないか。
    • 萌えが一般的になる前、同じようなニュアンスで「壊れる」という言葉があったように記憶する。今も言わないことはないかもしれない。「ときメモに壊れる」とか、「dotimpactがマリみてに壊れた*1」とか、そういう使いかただ。「壊れた」、つまり外因性の事情によって自分は現在の心境に至っているのだ、これは本当の自分ではないのだ、という巧妙な留保において、虚構やキャラクターへの愛の表明が可能とされていたわけだ。萌えという言葉はこの「壊れる」という言葉のデリカシーを継承していると僕は考える。「萌える」という言葉の持つ自然発生的なニュアンスが、そこでは利用されているはずだ。

*1:壊れてません