運命とか宿命とか

ちょっと関係ありそうなシューティングの話をmixiに書いてたので転載。

フランスのゲーム専門チャンネルが作った日本のシューティングゲームの歴史をあつかったドキュメンタリー番組「シューティングゲームの歴史 (Japon : Histoire Du Shooting Game)」というのがあります。これ、番組の動画自体はちょっと前に公開されてたみたいなんですけど、フランス語のナレーション(を訳した英語字幕)を翻訳した日本語字幕データが公開されたんで話題になっておりまして、見てみました。こういうふうにちゃんと取材してドキュメントしてるとこがすごいなあ。

これ観ながら、シューティングゲームが、正確にはスクロールシューティングが、細々ながらも綿々とジャンルを受け継いできていることについて考えていたのですが、なんかさー、それは撃つとか避けるとかよく言われがちなゲームの要素よりも、「強制的にゲームが進行して展開する」というメディアとしての構造に強さがあるような気がするんですよね。まえからそう思ってるんだけど、あの強制スクロールという形式は、 運命とか宿命とかいったたぐいのドラマをゲームで唯一(にちかく)表現できるものなんだろうと思うんですよ。そしてそのドラマはいつでもある一定は求められるものなのではと。

そういった意味でシューティングゲームって、いまでいうノベルゲームくらいにテキストとして語りやすいはずだと思うのですが、あんまそういうのはないですね。わたくしの完全なるうわごとだからでしょうか。